2015年 06月 26日
「平井道場奮戦記」 15 袖ヶ浦まる耐で思い出した昔話 |
イヤー難しい先日の袖ヶ浦まる耐のユーチューブの動画を(三宅広報担当の苦心作)face bookには貼り付けれたのがこのブログには張り付かない?この間のライダー多田喜代一・塚本昭一・腰山峰子・長沼朝之全員が、KSSRに関係があるのではないが、オイラにとっては皆可愛い子供たちや、オマケにオモロイ思いでが其々に沢山あり一人思い出してにやけております。
むかし話を思い出したのが袖ヶ浦まる耐で手元のあるそれぞれの写真を貼り付けてもう一度笑いたいな~
まずは1970年から立ち上げた、神戸スーパースポーツレーシングはそっちに置いといて、1982年カワサキに「TEAM GREEN」を立ち上げたことである。
アメリカの「TEAM GREEN」の好調に悪乗りして日本にもほしいな~とダダをこねて導入を図ったのである。
一年の苦しかったTEAMも、2年目の1983年になると「遅いTEAM GREEN」が調所・鈴木の加入により、ソレは強いモトクロス軍団が出来上がったのであります、余勢をかって1985年に「TEAMGREEN」の中に「TEAM38」の力を借りたロード部門まで出来たのであります。
丁度KRTのロード凍結の時期でもありました、一度消したらなかなか立ち上がれない国内だけでもと立ち上げたのであります。
まずはモトクロスからのスタートであった
1983年TEAM GREENに勝ちの息吹を持ってきた調所伸一(関東の名門ジュニアライダース所属)
1984年 中深迫選手 見てくださいゼッケンNO 1 やへへへへのへ
1985年TEAM38の猛者+多田喜代一を加えてロードレース部門を発足
1985年#38岡&日下組、#39斉藤&多田組2台をエントリー#39がアクシデントを乗り越えて、総合10位を獲得
そうしてあの有名な「アイアムソリー」の1987年の鈴鹿8時間耐久につながり、ル・マン24時間耐久の日本人ばかりの3位がアッたのであります。
1987年鈴鹿8耐にカワサキは手をあげたのであります・・・残念コーク&ロブ組は上位を走って居たのに4時間30分でエンジンが?リタイア、日本人ペアーは居時間少々で転倒(ヤッパな~多田や?)
この写真、日本人ライダー3人により、3位の快挙、多田転んだらアカンと頑張ったそうな、やれば出来る
オモロイ話
①遅いライダーの集まりであった1982年故菅原義広(トキワレーシング)、中深迫 正(月木レーシング)、岡山照一(京都ボブキャット)からの選手、遅い遅い予選も通らん3名のライダー、当時は第7戦北海道大会までに1ポイントあれば、SUGOの最終戦MXGPの出場が出来たのだが、3人ともノーポイント、迷監督立腹で北海道遠征中止、3選手が自腹で遠征したものの予選落ちザマーミロ
②TEAM GREENの暴れん坊・・・長沼朝之「監督ジャンプでアクセル開けたら上に上がり、ブレーキかけたら落ちると豪語・・・ソラー無いやろ~
そのジャンプ
③転んだら「アカン」と肩を叩いたら「OK」任せと飛び出して行く、多田喜代一すぐに転倒「バカ」・・・この間の袖ヶ浦まる耐も・・・相変わらず転倒で優勝出来へんかった・・・「転倒だけスンナ云うたのに」「アホ」
④塚本昭一選手も「お前早いんやから、ユックリ行けタィヤが暖かくなってから行け」「ヨッシャ行ってくるは」スタートして、2コーナーまでもたなんだ・・・転倒、「アホ」「タイヤ温めてから行けユウタやろ」
⑤その照一が1992年のF-1チャンピォンになりやがった嬉しかった~
最終戦まで北川選手との味方どうしの戦い、3回赤旗スタートやり直しの波乱万丈のレースだった
品格が付いてきたな・・・チャンピォン
もっともっとオモロイ話があるのだが?明日神戸大会IA-1/2の練習走行思い出はこのくらいでオヤスミナサイ・・・続きはまた後で・・・
神戸スーパースポーツレーシング(KSSR)平井道場
むかし話を思い出したのが袖ヶ浦まる耐で手元のあるそれぞれの写真を貼り付けてもう一度笑いたいな~
まずは1970年から立ち上げた、神戸スーパースポーツレーシングはそっちに置いといて、1982年カワサキに「TEAM GREEN」を立ち上げたことである。
アメリカの「TEAM GREEN」の好調に悪乗りして日本にもほしいな~とダダをこねて導入を図ったのである。
一年の苦しかったTEAMも、2年目の1983年になると「遅いTEAM GREEN」が調所・鈴木の加入により、ソレは強いモトクロス軍団が出来上がったのであります、余勢をかって1985年に「TEAMGREEN」の中に「TEAM38」の力を借りたロード部門まで出来たのであります。
丁度KRTのロード凍結の時期でもありました、一度消したらなかなか立ち上がれない国内だけでもと立ち上げたのであります。
まずはモトクロスからのスタートであった
1983年TEAM GREENに勝ちの息吹を持ってきた調所伸一(関東の名門ジュニアライダース所属)
1984年 中深迫選手 見てくださいゼッケンNO 1 やへへへへのへ
1985年TEAM38の猛者+多田喜代一を加えてロードレース部門を発足
1985年#38岡&日下組、#39斉藤&多田組2台をエントリー#39がアクシデントを乗り越えて、総合10位を獲得
そうしてあの有名な「アイアムソリー」の1987年の鈴鹿8時間耐久につながり、ル・マン24時間耐久の日本人ばかりの3位がアッたのであります。
1987年鈴鹿8耐にカワサキは手をあげたのであります・・・残念コーク&ロブ組は上位を走って居たのに4時間30分でエンジンが?リタイア、日本人ペアーは居時間少々で転倒(ヤッパな~多田や?)
この写真、日本人ライダー3人により、3位の快挙、多田転んだらアカンと頑張ったそうな、やれば出来る
オモロイ話
①遅いライダーの集まりであった1982年故菅原義広(トキワレーシング)、中深迫 正(月木レーシング)、岡山照一(京都ボブキャット)からの選手、遅い遅い予選も通らん3名のライダー、当時は第7戦北海道大会までに1ポイントあれば、SUGOの最終戦MXGPの出場が出来たのだが、3人ともノーポイント、迷監督立腹で北海道遠征中止、3選手が自腹で遠征したものの予選落ちザマーミロ
②TEAM GREENの暴れん坊・・・長沼朝之「監督ジャンプでアクセル開けたら上に上がり、ブレーキかけたら落ちると豪語・・・ソラー無いやろ~
そのジャンプ
③転んだら「アカン」と肩を叩いたら「OK」任せと飛び出して行く、多田喜代一すぐに転倒「バカ」・・・この間の袖ヶ浦まる耐も・・・相変わらず転倒で優勝出来へんかった・・・「転倒だけスンナ云うたのに」「アホ」
④塚本昭一選手も「お前早いんやから、ユックリ行けタィヤが暖かくなってから行け」「ヨッシャ行ってくるは」スタートして、2コーナーまでもたなんだ・・・転倒、「アホ」「タイヤ温めてから行けユウタやろ」
⑤その照一が1992年のF-1チャンピォンになりやがった嬉しかった~
最終戦まで北川選手との味方どうしの戦い、3回赤旗スタートやり直しの波乱万丈のレースだった
品格が付いてきたな・・・チャンピォン
もっともっとオモロイ話があるのだが?明日神戸大会IA-1/2の練習走行思い出はこのくらいでオヤスミナサイ・・・続きはまた後で・・・
神戸スーパースポーツレーシング(KSSR)平井道場
by toshiohirai2
| 2015-06-26 20:51